サウディアラビア王国の政体

サウディアラビア王国は、完全な主権を有するアラブ・イスラム国家です。国教はイスラム教であり、憲法は、クルアーンとスンナ(預言者ムハンマドの言行)に基づいており、公用語はアラビア語、首都はリヤードです。この二つの下に国家の政治制度と行政制度が整備されています。王国の政治は、イスラム法に基づき正義、衆議(シューラ)、平等を基本として運営されています。その他の統治法として、1993年3月1日(イスラム暦1412年シャアバーン月27日)に公布された、サウディアラビア王国統治基本法、諮問評議会法、地方行政法があります。

二聖モスクの守護者ファハド・ビン・アブドルアジーズ国王は、国民に対し演説をおこない、同国の国体、法源、建国の父アブドルアジーズ・アール・サウード国王が建国以来、明確に規定した政府の行政の基本方針について説明しました。国王は、この基本方針から社会の発展に対応した制度が生まれ、建国の父を継承した息子の歴代の国王が近代化と発展に尽力してきと語りました。国王は、また、王国の国民と統治者の関係が愛、思いやりの精神、相互の尊重、友好といった言葉で表現することができる、深く根づいた古くからの伝統的な国民感情に基づいていることを指摘しました。国民感情は、世代から世代へと歴史が承継されていく中で深く根をおろし、自然に成熟していったものにほかなりません。

このような関係は、古い伝統に基づいた「全国民に開かれた統治者の扉」(直接対話)に代表されています。したがって、統治法が「国王のマジュリス(直接対話の会合)と皇太子のマジュリスが全国民に、不満をもっていたり不当な扱いを受けている国民に開かれている」とはっきりと規定していることに奇妙な点は何一つとしてありません。

これら諸法は、サウディアラビアの指導者が、寛大なイスラム法を遵守しつつ発展を維持したいと望んでいることを示しています。イスラム法は、2世紀以上も前に第1次サウディ侯国が国是とした法でした。第1次サウディ侯国は、イマーム・ムハンマド・ビン・サウードとイスラム改革者ムハンマド・ビン・アブドルワッハーブが盟約し、アッラーの言葉を高く掲げ、イスラム法を採用し、イスラム信仰を防衛するために建国した国でした。サウディアラビア王国をイスラムとイスラム法の国にする運動は、それ以降も継続して進められました。彼の息子たちは、自分の人生とあらゆる事柄にイスラム法を適用することによって心の安らぎを得ました。この成果が王国の政治にも反映されており、王国の歴史の中で「憲法の空白」と呼ばれる時代がないのはそのためにほかなりません。全国民は、イスラムを基礎とした王国の安全と安定、さらには、維持する総合的開発の成果から恩恵を享受しています。アラブとイスラム教徒の言葉を一つ(団結)にするための王国のたゆまぬ努力と連帯への切望、さらには、アラブとイスラム教徒の利益の追求にひたすら邁進する姿勢は、すべてサウディアラビア王国の国是に由来しています。政治的情勢とその現実を見れば、サウディアラビア王国が、アラブ・イスラム国家と国際社会に対していかに誠実であるか、いかに義務を懸命に果たそうとしているかを理解することができます。こうしたサウディアラビア王国の外交姿勢と活動は、国際社会から尊敬を受け、国家としての地位を高め、世界の諸国民とその指導者から確固たる信頼を勝ちえています。

統治基本法は、政治機構とその機能をあますところなく説明しています。これには、統治者と被統治者との関係、国家の司法、行政、立法の各権能の役割の特徴、国家の権利と義務、国民の権利などに関する規定が含まれています。

過去の法律を時代に対応させ、多岐にわたる分野において驚くべき発展を遂げた国にふさわしい法を整備するため、その他諸法律も制定されたのです。

諮問評議会

イスラムは衆議(シューラ)を認めています。これは、サウディアラビア王国の政治制度であり、王国の支柱です。イスラムのシューラは、多くの人々の参加による協議を通して最終的な合意を形成するための政治制度です。シューラは、党派による政党政治制度ではありません。シューラは、イスラム社会の根幹なのです。

アブドルアジーズ国王が国家統一を宣言したとき、諮問評議会(マジュリス・シューラ)は最初の、また、もっとも重要な政策の一つでした。国王は、1927年(イスラム暦1346年)、第1回諮問評議会の設置の命を下しました。初代議長に就任したのは、当時、ヒジャーズ副王(後の国王)であったファイサル・ビン・アブドルアジーズ殿下でした。第1回評議会の議員数は8名でしたが、その後、5名が追加されました。そして、1952年(イスラム暦1372年)には議員数は20名に増員され、会議は毎日開かれるようになりました。1953年(イスラム暦1337年)に内閣法が公布され、その2年後に、サウード国王は、勅令を下して評議会の議員数を25人とし、週に一度、定期会議が開催されることになりました。イスラム暦1412年8月27日、新諮問評議会法が勅令91号Aとして下され、評議会が担う担当分野が規定されました。

評議会の職務に関する内部規則と評議会の構成に関する勅令15号Aがイスラム暦1414年3月3日に公布されました。内部規則は、6章62条から成り、評議会の責務、議員の権利・義務・責任などが規定されています。

第一期評議会は、1名の議長と60名の議員により構成されていましたが、1997年7月7日(イスラム暦1418年3月3日)、二聖モスクの守護者の勅令により、議員数が30名追加され、議長1名と議員90名からなる第二期諮問評議会が組織されました。

議員の任期は4年です。議会が解散されて、新たに開設される場合、新議員数は、議員定数の半数以上でなくてはならないと規定されています。

評議会は、リヤード市に設置され、国王の許可により他の都市でも開催することができます。会議は少なくとも2週間に一度は定期的に開催され、議長には開催日の調整権が与えられています。また、特定議題を協議するための緊急会議開催が許されています。

評議会は、1993年12月29日(イスラム暦1414年7月16日)、リヤードで開催され、二聖モスクの守護者が開会の辞を述べました。第1回会議は、1994年1月2日(イスラム暦1414年7月20日)に開催されました。会議には議長、副議長、事務局長、60名の議員が出席しました。議員は、知識、遂行能力、経験、専門技術などの能力のある人々から選ばれています。

8つの専門委員会が設けられました。この専門委員会の分野は下記の通りです。

(1)イスラム、(2)外務、(3)公共サービスと関連施設、(4)法、行政、(5)安全保障、(6)教育、(7)文化、および(8)メディア。

これらの委員会は、相互に協力するとともに担当局と連携して職務を遂行します。委員会の組織後、委員長と副委員長が選出され、諮問評議会法に規定された職務の枠内で委員会は、評議会から委託された問題を協議しています。

諮問評議会法第15条には同評議会の職務内容が次のように規定されています。

  1. 経済・社会開発計画を討議し、それに関する意見を具申する。
  2. 法律、条例、国際条約と協約、利権協定の検討とそれについての提案をおこなう。
  3. 法律の解釈
  4. 政府官庁、機関の年次報告書に関する討議とそれについての提案をおこなう。

諮問評議会は、創設以来、議長、議員のすべてが懸命に活動を続けています。議長は、王国を訪問するアラブ・イスラム諸国、友好諸国の諮問評議会、国会の代表団、王国駐在の外国の大使と会見し、友好を深めてきました。また、議長は、王国の評議会公式代表団団長として、アラブ・イスラム諸国や友好諸国を訪問し、王国と外国の友好・協力関係を深めてきました。

 内閣制度

アブドルアジーズ国は、逝去前の1953年10月(イスラム暦1373年)、勅令を公布し、サウディアラビア王国の内閣が設立されました。そして同年に、内閣法が発布されました。それ以前、王国の行政は、1931年12月(イスラム暦1350年)に発布された法に従って行われていました。アブドルアジーズ国王は、閣僚、顧問、国の有識者や専門家、諮問評議会の助力を得て国の政治を運営していました。

サウード国王、ファイサル国王、ハーリド国王、二聖モスクの守護者ファハド・ビン・アブドルアジーズ国王と治世を重ねながら、内閣は発展を遂げ、内閣と下部委員会の職務遂行のスタイルが洗練されていきました。ファハド国王は、1993年8月20日(イスラム暦1414年3月3日)、勅令13号Aによって内閣新法を発布しました。これは、イスラム暦1373年の内閣法に代わるもので、その修正法です。新法によれば、内閣は、内政、外交、財政、経済、教育、防衛、その他国家に関わる問題すべての分野で政策を立案し、その実行を指導し、諮問評議会の決議を検討します。内閣が行政権を行使します。

内閣は、官公庁など全政府機関の財政、運営を指導する最高機関です。新内閣法の規定によれば、閣僚と上級公務員は、全員、勅令によって任命され、任期は4年です。内閣の組閣も、また、勅令によっておこなわれます。内閣には、(1)内閣府、(2)内閣官房、(3)専門家審議会の3つがあります。

国王が首相を務め、国家の政策全般の方向づけをします。首相は、政府機関を指揮し、相互間の調整、協力を実現させます。内閣の政務の調整、継続、統合も首相の任務です。首相は、内閣、省、政府機関を監督、指導します。さらに、法、条例、決議などが適正であるよう監督します。

 地方行政法

地方行政法は、イスラム暦1412年シャバーン月27日、勅令によって制定され、イスラム暦1414年ラビーゥル・アッワル月20日の勅令により改訂されました。地方行政法の目的は、下記の通りです。

  1. 王国の行政と開発のレベルアップ
  2. 治安維持と行政の改善
  3. イスラム法を遵守した国民の権利と自由の保証
  4. 人口、地理、治安、環境、交通網の整備を考慮した地方行政区の区割り

地方行政法により、王国の地方行政区が下記の13州に分割されました。

(1)リヤード州、(2)マッカ州、(3)マディーナ州、(4)カシーム州、(5)東部州、(6)アシール州、(7)タブーク州、(8)ハーイル州、(9)北部国境州、(10)ジーザーン州、(11)ナジュラーン州、(12)バーハ州、および(13)ジョウフ州。

州知事はアミールと呼ばれ、官位は大臣クラスで、国家の基本政策に従って州行政を司ります。

地方行政法は、知事の職責を明確に、また、詳細に次のように規定しています。

  1. 勅令によって任命された知事と副知事は、内務大臣に対して責任を負う。
  2. 内務大臣は、知事と副知事の任命、解任に関して勧告することができる。

地方自治法改正により、各州に州議会が設置されましたが、州議会は、議長(知事)、副議長(副知事)、州事務次官、州政府機関の長、10名以上の州民によって構成されています。知事を含めた州政府機関幹部は、内務大臣の勧告により首相が任命します。州議会議員となる州民は、州知事が学識、経験、専門分野などを考慮して推薦し、内務大臣の合意を得て、首相が任命します。議員の任期は4年ですが、再任が認められています。

国政と地方行政に関する諸法により、立法機関と行政機関の官吏の任命、再任を含めた任期が規定されました。これは、王国の政治と行政の手法が質的に発展したことを意味しています。二聖モスクの守護者は、1995年8月(イスラム暦1416年ラビーゥル・アッワル月)、新内閣の組閣を決定し、その後、1999年(イスラム暦1420年)には内閣の再組織を決定しました。それに並行して、大学などの主要公的機関の多くに若い人材が注入されました。これは、ファハド国王が政治のレベルを上げ、国民が広い範囲にわたって政治に参加することができる基盤を創造しようと切望した結果にほかなりません。