アブドルアジーズ王に謁見した横山公使―その1

1939年3月、日本政府はハーフィズ・ワハバ公使の訪日の答礼と公用を兼ねて、駐エジプト横山正幸公使をリヤードへ派遣した。随行者として商工省技師の三土知芳氏、通訳の中野英治郎氏が同行した。一行はスエズから船にのり3月26日にジェッダ港に着き、その翌日4台の自動車に分乗し、ジェッダを出発した。約1,100キロメートルに及ぶ砂漠の道なき道を5日間かけて走破し、無事リヤードに到着した。

4月1日、一行はリヤードの太陽宮でアブドルアジーズ王に1時間にわたり拝謁した。中野氏はこの時の模様を著書「アラビア紀行」(1944年)で詳細にわたり記述している。興味深いのでその一部を引用する。

リヤードの太陽宮内謁見室内の一部(1939年)(P.140-1)

我々はこの広間を右斜に対角線に柱の間を横切り、右側の天鵞絨製の特別大きな肘掛椅子に、どっかと坐ったミシュラハ姿の大柄な人物の方に向かって進んだ。右壁側の椅子には、七、八人の側近者がミシュラハに包まれて、謹厳な面持ちで坐っている。我々は此の隅に坐っている大きな人が、イブン・サウード陛下だということを、すぐ直覚的に知った。我々は、玉座前二間余りの所に進んだ。陛下はみずから椅子から立ち上がられて、きわめて柔和な面持ちで、まず公使、次いで三士技師と筆者に握手を賜った。そして、「アハラーン・ワサハラーン・ビアマーナ・ツラーハ」(神に頼って、良くいらっしゃいましたくらいの意味)と簡単に、しかし温かく、旅の労苦を労う言葉を賜った。筆者は握手しながら、やはり簡単に、「シャッラフナー」(光栄と存じます)とお返しした。掌は御経歴にも似和わず柔らかかった。手招きに依って、公使は陛下の向かって左側に、筆者と三士技師は陛下に向かい合って、筆者は右側、技師は左側にそれぞれ坐り、筆者の右にはイブラーヒームが坐った。ヤシンは右壁寄りの下手の方に控えた。陛下の左側、窓側の紫檀の机の上に、電話機と双眼鏡とコーランが乗っけてある。

握手を賜る時、向かい合った感じでは、陛下は筆者より五寸あまりも高く、非常に長身で恐らく六尺一寸あまりあらせられたように思う。筆者の着ているのと同種類の黒のミシュラハに、寛やかに包まれた強健そのもののような御体躯は、巧まずしてそのまま堂々たる王者の風格を備えられている。頭には黒糸に金モールを巻き付けたイカールを巻かれている。ゴトラは粗末な綿製の赤豆絞りで、運転手シャーキルが被っていたのと同じものである。ミシュラハのしたには、埃及のアズハル学生の制服と同じ広袖で、裾がスカート様になった詰襟の霜降り服(カフターン)を召されている。足には靴を履いていられないで、厚い灰色の靴下のみであった。陛下は悪臭を非常に嫌われているという話を聞いたが、恐らくそのゆえだろうと思われる。伽羅のような、馥郁たる和やいた香気が、御服装から漂って来る。御格幅からしても豪壮な偉丈夫で、寛やかなミシュラハは我々のそれとは違い、ピッタリと板に付いていて、幅といい縦といい、正に大アラビアを睥睨威圧するの風概がある。御風貌はやや面長であるが、通常のアラブ系の標準より大きく、口髭と顎鬚は非常に濃く、特に口髭はその優秀なるを崇ぶ一般アラブにおいてもほとんど稀にしか見受けられないほど重厚なもので、別段御手入れはない模様だが、自然のままに厚い上唇を口辺りまで被っているのが、誠に似つかわしく、沙漠に生きている人々に非常に懐かしい気持ちを起こさせる。眼は大きいがやや霞んでいるようである。左眼の大きな白濁の星と、左手の中指が中程より切れ取っているのは、陛下の経て来られた戦場の激烈さをさながらに物語っている。右手の小指に、何か宝石の嵌った大型の指輪を嵌ている。左眼の下に、人の目を惹く大きな黒子がある。皮膚は厚く、褐色であるが、決して嫌悪の情を起こさせることはない。声はやや嗄がれていたが、非常に温和な低音であった、初めて聞くと、どこからあの茫漠たる広野に、三軍を叱咤された音声が出て来るかと、不思議に思われるほどである。我々との御対話中は、始終莞爾やかな笑いを含まれ、感情の激発の如きはどこにも見られなかった。環境、年齢、経験等の大きな差があって、同日に論ずるはもちろん正しくないが、埃及国王ファールーク一世とは、此の点においてほとんど対遮的な感じを受けた。

言葉は大体標準語に近いアラビアをであったが、時にナジド中部地方の特殊重畳語の方言と、シリヤ的発音があり、二、三形容句などで筆者にも了解されないものがあった。

対談は主として公使と交され、時に筆者に対しても御言葉があり、直接これに御答えした。宗教、国際情勢、政治経済等の各方面のことにわたって一時間に及ぶ会談が行われたが、いつも非常に親密な御口調で、「サァーダト・ワジール・アル・ヤーバン」(日本公使閣下)と、敬称を付してみずからの御考えを率直に吐露された。ただ話が当面の交渉問題に移った時と、国内体制や、国際関係の機微に触れた時などは、ニコニコと笑まれながら、傍に並んでいる顧問やユーシフ・ヤシンたちに「ヤー・ユーシフ」「ヤー・ハァーリド」と、ゆっくりした口調で親しそうに名前を呼ばれて、「そうだろう」と念を押されることがあった。

転載:「アブドルアジーズ王の生涯」
日本サウディアラビア協会出版