日・サ経済関係の発展-日本企業へ石油利権供与

1953年に日本初の経済使節団が派遣されたが、日・サの本格的な経済関係は1957年のアラビア石油(株)の石油利権獲得交渉から始まったといえる。そして、1960年のスルターン殿下・交通相(現第2副首相兼国防航空大臣)の訪日により日・サ間の経済技術協力関係がスタートし、1973年の石油危機以後その協力関係が急速に進展した。1975年に日・サ経済技術協力協定が締結され、1976年には第一回日・サ・合同委員会がリヤードで開催された。現在では、日・サ経済関係は貿易額において、米国についで2位というほど緊密な関係になっている。

日・サ経済関係の発展過程における主な出来事について順を追って述べる。

1957年初頭、駐エジプト土田大使が駐サウディアラビア兼任公使としてサウード王に信任状を奉呈した際、同国王から日本へ石油利権を譲渡してもよいとの話があった。これを機に、同年2月にアラビア石油(株)の創設者である山下太郎氏が石橋湛山首相、岸信介外相らの紹介状を持参し、岡崎勝男元外相らと共に利権獲得を目的にサウディアラビアを訪問した。

サウード国王と面会する山下太郎氏、(リヤード、1957年)(P.146-1)

山下氏らは地質学者でもあったアブドッラー・タリーキー財政経済省石油鉱物資源局長(のちの石油相)からサウディアラビア・クウェイト間の中立地帯沖合が石油掘削には最有望地域であるとのアドバイスを得て帰国した。同年6月、山下氏は、石坂泰三氏をはじめ小林中氏ら財界人の協力を得るとともに、日本政府からも石油事業に対する必要な措置と援助を行うという閣議了解を取りつけた後、翌7月、岡崎勝男氏や東京大学名誉教授上床国男氏らをともない、再度サウディアラビアを訪問した。約2ヶ月にわたる対政府交渉・折衝の結果、12月にサウディ政府と石油利権協定に調印するに至った。こうして1958年2月に石坂泰三氏を会長、山下氏を社長として発足したアラビア石油(株)は1958年7月にクウェイト政府とも利権協定を調印した。1959年7月に中立地帯沖合で試掘を開始し、1960年1月に大油田を発見した同社は、その後今日に至るまで約40年にわたり石油操業を継続しており、現在約30万バーレル/日の原油を産出している。

1971年、海外技術協力事業団の中山素平会長を団長とする大規模なアラビア湾岸経済使節団がサウディアラビアをはじめ、クウェイト、バハレイン、カタル、アブダビ、イランを訪問した。使節団の目的は石油の安定供給を確保するためにこれらの産油国と色々な分野で密接な協力関係を築くことであった。使節団はサウディアラビアでは、1970年から始まった第一次5ヶ年計画を推進するための日本の協力分野について関係者と話し合い、帰国後、日本の協力分野として(a)人材開発・養成(b)インフラストラクチャー整備(c)工業化(d)石油関係(e)その他(砂漠農業・医療・漁業・鉱山・金融)をあげた。

転載:「アブドルアジーズ王の生涯」
日本サウディアラビア協会出版